「近代の観光史を想う」 宮城蔵王・峩々温泉

※本紀行文については「まえがき」をご覧ください。
新年おめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
大学勤めをするようになってから地方出張の数は減りましたが新年にプライベート旅行をすることは通例となりました。昨年は茨城県の鵜の岬で太平洋から昇る朝日を浴びましたが、今年は宮城蔵王の秘湯「峩々温泉」を訪問しました。仕事柄、記録を残すことに余念がありませんでしたが携帯の電波も通じない国定公園内にあることから滞在に集中することができました。

宮城県柴田郡川崎町「峩々温泉
川岸の山肌に沿うようにある峩々温泉。遠刈田温泉より送迎車で30分の道のりですが温泉街とは異なる雪景色が広がります。途中は高低差があるのでチェーンを装着しなければ運転はできません。雪道が慣れない方は送迎車を利用するのが無難でしょう。

館内に掲示されていた宿の古いパンフレット。年代は書かれていませんが昭和の初期の頃のものでしょうか。「蔵王エコーライン 観光基地 蔵王荘 HOTEL Zaoso」とあります。その写真は現在と異なり、右側にある二階建ての長い館(東館)や様相が異なる建物が山際へ向かって立ち並んでいることから徐々に部屋を増やしていったことが想像できます。

廊下には館内図が残されおり当時の様子がうかがえました。中規模旅館から個人客を主にした小規模旅館にシフトしてきたことが良く分かります。使用しなくなった館(東館)を壊すことも難しく残していたそうですが、奇しくも東日本大震災の際に壊れ、かつて西館・温泉館があった場所にフロントと調理場を移し湯治利用や日帰り利用も無くしたそうです。その一連の流れは、湯治場として開湯し、明治初期に初代が温泉と宿の管理を始め、昭和の観光ブームで増築、平成のデフレで減築、令和でインバウントと個人客へ回帰。近代の観光史そのものではないでしょうか。

「客室 萩」。寝室には床暖房が敷かれ別室には炬燵があるので心地よく過ごせます。ただ、備え付けの浴衣と丹前では心細いですから下着など工夫したほうが良いでしょう。貸し出しのフリースもありました。客室の窓からは峩々温泉の由来ともなった「峩々なる岩」を見ることができます。かつては鹿を追ってきて発見されたことから「鹿の湯」と呼ばれていたそう。その名は館内の男湯に残されいます。

館内の浴場は男女別の大浴場と露天の貸し切り風呂が一つ。大浴場は清掃時間以外は入ることができるので夜に朝に存分に楽しめます。浴室に入ると薄暗く無音。温泉の良い香りが充満しています。大浴場の内風呂は「あつ湯」と「ぬる湯」の二つあり露天風呂が一つ。こちらの写真は女湯の「あつ湯」。浴槽は温泉の成分が石灰化したものが付着していてその濃厚な度合いが分かります。そして峩々に伝わる入浴方法「100杯のかけ湯」を実践。マットに仰向けに寝て竹筒に湯を汲みお腹にかけること100回。思っていた以上に短時間で終わるもので熱い湯が苦手な私には有難い限りでした。寝そべるにも勇気がいるものですが「ぬる湯」との間に目隠し用の柵がありますので気恥ずかしさはありませんでした。最近の「寝湯」とはまったく異なるアプローチですね。限られた熱い湯にあやかりたいという湯治場時代からの人々の想いが紡いできた入浴方法なのでしょう。

同宿者の外国人達がひっきりなしに利用していた貸し切り露天風呂。予約制ではなく時間制限も無いので空いているタイミングを見計らうのに少々苦労するかもしれません。やはり景色を見るのが醍醐味でしょうから一泊であれば到着して早々か日の出とともに向かうことをおすすめします。この日は雪見風呂。峩々なる岩もしっかり見えます。

峩々温泉は日本三大胃腸の湯。ということでラウンジにある飲泉場で食事の30~60分前に飲みましょう。成分で濁ってはいますが硫黄臭さはないので飲みやすいです。便秘が改善されたという体験談の漫画が微笑ましい。

夕食も朝食もダイニングでいただきます。地元で採れた季節の食材が使われ、適度な量と優しい味わいが湯上りの身体にちょうど良いです。今は湯治用の素泊りはなく一泊二食プランのみだそうですが、これなら連泊も問題なさそうです。地酒やオーガニックワインも揃っているのでほろ酔い程度に楽しむのが良いでしょう。

湯守の竹内家は現在で6代目。群馬県の桐生市から硫黄鉱山の開拓のために蔵王近隣へ移り、その後、この温泉を管理することを命ぜられたのが始まりだそうです。こういった歴史ある温泉場に来るたびに湯守の御家族に頭が下がる思いです。次は夏に訪ねてハイキングを楽しみたいですね。(文:山田祐子)